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掛合トランプの歴史と
長崎トランプ仮説

2009/12/19 赤桐

 雲南市のホームページ(http://www.ufm.jp/lab/kakeya/kakeyatrump/trump/index.html)には、次のようのこのゲームの歴史が記されています:
「現在、掛合町内の開業医である清水文郎先生(清水家11代目)の、先祖で5代目清水葦庵(しみずいあん)先生(西暦1723〜1774)は享保27年頃、今から約260年前長崎において、オランダ医学を学ぶため留学したことがあり、その時にトランプを持ち帰ったのが、掛合にトランプが入った最初であるといわれています。
その後、トランプ競技は掛合近辺の上流社会で遊ばれていた様ですが、9代目の道達(どうたつ)先生(西暦1848〜1915)は、このトランプ競技を幕末から明治にかけ大正4年に没するまで、掛合トランプとして村のすみずみまで普及させ、これが盛んになり楽しまれるようになりました。」

 掛合トランプは明治期の「絵取り」ゲームと本質的に同じゲームです。また、掛合町内では「絵取り」と呼ばれていると聞いています。ところが、絵取りゲームは明治期にホイストが日本化したものと言われていて、この歴史説明と矛盾しているように見えます。

 ホームページの歴史説明をある程度信じる場合、これについての解釈としては、「享保期に清水葦庵がトランプを長崎から持ち帰り一部の人で遊ばれていた。明治期に清水道達がトランプの別のゲーム、つまり当時日本で主流であった絵取りゲームを村に普及させた。」という解釈が最も無難であり、これが事実である可能性は高いと思われます。

 しかし、絵取りゲームが明治期にホイストの日本化されたものだということは必ずしも明らかなことではありません。トリックを取ることによる点数から絵札を取ることによる点数に変わったことや、スペキュレーション(れんしょ)が導入されたことに対する理由の説明や経緯の説明が十分にできるかどうかには疑問もあります。

 それなら、絵取りが明治期になって急に発明されたと考えるより、もっと古くからの歴史を考えても良いのではないでしょうか。ポルトガル由来のゲームからの連続性や、江戸時代に活発な貿易のあったオランダ人からの影響を考えるということです。

 こう考えると、長崎で260年前に絵取りゲームが成立していた可能性はあるように見えます。長崎なら近代的なトランプカードを町の人が遊べるほど入手できたかもしれません。ここで古くからのプレイ法とオランダ人に教わった新しいやり方をミックスしたプレイ方法が生まれたかもしれません。その1つが絵取りゲームだったかもしれません。この考え方を「長崎トランプ」仮説と呼びたいと思います。

 この仮説に立てば、掛合トランプの歴史は「享保期に清水葦庵が長崎に留学し、トランプとそれを使った絵取りゲームを持ち帰った。明治期ごろ清水道達がこのゲームを村に普及させたが、同時期に同様のゲームが長崎から全国に広がった。」と説明できます。(掛合町から全国に広がったと考えるのは無理があると思いますので。)

 もちろん、今のところこれが事実であるかどうかは分かりませんが、可能性として指摘しておきたいと思います。